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熊本×医学生~支援者として~

続・医学生×熊本  ~支援者として~

 今回は、大分大学医学部に通うAさん(医学科2年)は震災以降、継続的な被災地ボランティアに参加しています。Aさんが医学生として被災地支援に関わる中で感じたことや考えたことを伺いました。


■大切なのは「継続性」


この度の熊本・大分を震源とする地震により亡くなられた方々に謹んでお悔みを申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。


私はこれまでに2回、南阿蘇を訪れました。5月下旬の1回目の訪問ではボランティアをさせていただきました。7月上旬の2回目では、ボランティアで出会った社会福祉協議会(以下、社協)の方と南阿蘇の現状を知り、震災について考える合宿を行いました。これらの活動を通して私が感じたことや考えたことを書かせていただきます。


私が南阿蘇に行く理由は、南阿蘇が熊本からの支援を受けにくく、大分からの支援が必須であるからです。これは南阿蘇大橋が崩落したことに起因しています。南阿蘇大橋の崩落は物資の調達以外にも人々の生活に大きな影響を与えていることを社協の方から伺いました。例えば、南阿蘇大橋を通って通学していた小学生が転校先の小学校に馴染めなかったり、南大橋を迂回する道で通勤せざるを得ない社会人が通勤時間を懸念されて職場を解雇されてしまったりという現状があるそうです。


5月下旬にボランティアに行った際に、1つの災害ボランティアセンターから1日に支援できるのは十数件であることを知りました。また、震災から3か月が経ちましたが、天候の影響でボランティアが実際に活動できたのは35日間(7月9日までのとあるベースキャンプの統計)でした。やっと家の片づけに着手できたお宅がある一方、いまだに助けを求めることができない方がいます。


震災直後、みなさんは多くの商業施設で義援金を入れる箱を目にしたでしょう。今はどうでしょうか。また、半年後はどうなっているでしょうか。東日本大震災で被害を受けた方の中には今なお仮設住宅で暮らしている方がいます。私たちは被災された方のことを忘れていってしまうのが現実です。しかし、支援のニーズがなくなるわけではありません。支援を継続させることが必要なのです。


 


■できるときにできる支援を


支援の方法には募金や物資の供給など様々なものがあります。私はボランティアで一緒に活動した方とお話する中で「観光」が立派な支援であることを知りました。


例えば、観光であるお店に行きます。そこで払ったお金はお店の方の生活を支えます。さらに、「こんな素敵なお店があるよ!」とSNSなどで発信します。すると、そのお店に興味を持った他の人がお店を利用し発信...。観光に加え、それを発信することでお店の方を継続的に支援することができます。私は実際にボランティアを一緒にした方からおすすめされたピザ屋さんに行き、自家製ベーコンののったピザを堪能しました!(発信も忘れずにしました!)


支援しようと思っても自分に何をすればよいか分からなかったり、被災された方に逆に迷惑をかけてしまうのではと思ったりする方はたくさんいらっしゃると思います。私もそうでした。そんな方へ、社協の方の言葉を紹介します。


▼「やるかやらないかをまず決める。やらなきゃ申し訳ないとか思わなくてよい。できるときにできることをやる。やると決めたら方法を考える。」


▼「ボランティアは『のに』がついちゃダメ。『来てあげたのに...』『支援したのに...』など。自己満足にならず、無理しない範囲でやること。」


支援をしようと思ったときは自分ができる支援、そして自分がしたい支援をすればよいのだと思います。例えば、義援金は不特定多数の少し遠い未来のための支援になりますし、お店でお金を使うことは特定の人のための支援になります。被災された方への気遣いは欠かせませんが、偽善と言われることを気にしたり、迷惑をかけてしまうかも思ったりしなくていいと私は思います。よろこんでくださる人がいればいいのです。


社協の方によると、現地ではバイタルを取ることのできる人が求められているそうです。非日常の生活を送る方にとって自分の体の状態を知ることは安心に繋がるからです。私はバイタルの取り方を学び、医学生としても役に立てたらと考えています。今後も南阿蘇を中心に細く長く支援していきたいです。

熊本×医学生~被災者として~

2016年4月16日に熊本を襲った震度7の地震と1500回を超える震度1以上の余震および前震は、49名の死亡者を出しました。震災当時は約18万人、現在でも7000人の人々が被災生活を続けています。(2016年6月20日現在)

今回の震災では医学生の被災者も多く、精神的にも大きな不安を与えるものでした。自宅が倒壊したり、大学も被害にあったため、1カ月間休校を余儀なくされました。

今回は熊本大学医学部に通うM.Sさんに、災当時の状況や、医学生に伝えたいことを伺いました。


■被災当時の心境について教えて下さい。

 被災当時は、一言でいうと、「混乱」ということでしょうか。恐怖・不安など様々な感情が被災者の中であったと思いますが、様々な感情の混乱、文字通りの単純な混乱、情報の混乱というようなイメージです。多くの人が、東日本大震災や阪神大震災の記憶や情報を持っていたと思います。ただし、それが多くの人の中で我が身に起こっているのか、認識できない状況だったと思います。それが被災直後の率直な心境だと思います。

 
■被災当時の状況を教えて頂けますか。

 前震(十四日夜)の時は自宅のすぐ近くの路上にいて、よくある小さな地震を感じた直後に地面が波打つような横揺れに襲われ、近くの駐車場に移動しようにも立っているのがやっとの状態でした。すぐ横の寺の鐘は大きく揺れ、塀はうねり、電線からは火花が散り、地響きが聞こえました。直後も断続的に揺れが続きましたが、家のことが心配になり六階の部屋に戻りました。部屋に戻ると冷蔵庫は倒れ、部屋の中は足の踏み場もないほどでした。強い余震が続いたため、貴重品だけを持ち、近くの駐車場に避難しました。数時間が経ち、大きな余震がおさまってきて、午前三時頃に部屋に戻りました。報道では一週間以内に二〇%の確率で最大震度6程度の地震がくると言っていたので、自分のところに来るのはせいぜい震度5弱だろうと、高をくくり、その時の私は余震に対する意識が低かったと思います。また同じような惨状にはならないだろうと、部屋の片付けも物を高く積むことは避ける程度で、綺麗にして夜を迎えました。

 本震(十六日未明)の時は、なぜか眠る気がせず起きていました。十六日の午前一時二六分、突然の大きな揺れの直後、電気が全て落ち、その後携帯の緊急地震速報が、けたたましく鳴り響きました。阪神淡路大震災の時にトイレの中にいて、壁に打ち付けられて身体中に痣ができたというエピソードを聞いたことがありましたが、もし狭い部屋の中にいたら、十分に考えられた揺れ幅と短い周期でした。

 最初の揺れが収まり、避難のために暗闇の中、貴重品を探そうにも、数分前には目の前に有った物がなく、数分前に何も無かったはずの所にあるはずもない物がありました。なんとか携帯を探して出してライトをつけると、そこは前震とは比較にならないほど荒れた部屋がありました。逃げ出そうにも玄関までの間には、ガス台から落ちたガスレンジ、倒れて道を塞ぐ冷蔵庫と洗濯機、落下した電子レンジという障害がありすぐには出られそうにもありません。そうしている間にも大きな揺れと緊急地震速報の警報音が・・・。火事場のバカ力なのでしょうか、冷蔵庫などを無理やりどかし、なんとか外に出ると、大きな亀裂により穴があき反対側が見える壁に足が竦み、路上には落下した瓦の破片が散乱し、家から逃げ出した人々が少しでも広いところに集まっている状況でした。

 
■被災地はどのような状況でしたか。

防災マニュアルには、被災時のするべきこと、してはならないことが多数記載されています。理由を考えたらそうなのでしょう。被災時にどうするべきかというシミュレーションを十分にしておけば守れる可能性があるので心の準備をおすすめします。ただ、被災者の一人としては、もし守れていない人がいても、他人に大きく迷惑をかけていなければ震災直後は大目に見てほしいです。例えば、防災マニュアルでは、地震発生時には緊急車両の妨げになるので車での避難は絶対にやめてくださいとあります。確かにそうでしょう。しかし、実際に被災すると、家の中は怖くて入れたものではありません。避難所は人でごった返しすぐに入れるものではありません。雨風防げる服装や装備を持っての避難など簡単にできません。ですから、地震発生時に運良く車の鍵を見つけた人が車で避難しても、震災直後は許してください。震災直後はみなただただ混乱している状況です。
 

■医学生として被災なさったいま、何か考えることや伝えたいことはありますか。

 被災後、特に直後は、近くの人の手助けをして、高齢者など自由に動け無い方のために動けるよういることが必要と感じました。特に避難所では指揮してくださる行政などの方も被災者です。その人の助けにもなれるように。ただし、根底にあることは、自分自身の安全が守れてこそという絶対条件です。周囲の人の力になろうとしても、自分が怪我をしていては問題になりません。また、私たちが今後なる職業は被災直後に職場に行くことが求められます。家族を置いて駆けつける必要があります。家族の安全は自分の安全と同じくらい備えが重要です。そのために、是非これを読んでくださった方には、自分の周りの人とともに、震災への具体的な、現実的な備えについて考えていただきたいと思います。現実的な例として、一つ。多くの方がこの度の報道をみて、水の備蓄をしたと思います。ではその水は今どこにありますか?部屋の中ですか?クローゼットの中ですか?庭の物置小屋の中ですか?車の中ですか?正解はありません、当日どのようなことが起きているか想定できません。もし、部屋の中に置いた方がいた場合は、家が倒壊寸前で飛び出した場合は意味ないです。車の中に置いた方がいた場合は、車の鍵が見つからなかったら意味ないです。どこに置こうとも正解はないのですが、置いたら是非実際にどのように使うかという次の段階まで想定していただきたいです。さらなる想定の段階として、水は正直十分ではないですが数日辛抱したらきます。ではその後どこにいったら可能性高く水にありつけるか議論するのもとても意味があると思います。熊本では水道局とかが穴場ということでした。

(2016年6月20日 医学連新聞第257号より)
 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。また、在学生のみなさんもご進級おめでとうございます。この春から環境や気持ちを新たにして頑張る方々も多いのではないでしょうか。
 群馬大学医学部では新歓の時期には新入生が親睦を深め、新たな環境に慣れてもらおうと様々な行事があります。運動部が所属する運動部会、また文化部が所属する文化部会によるクラブサークル紹介や、1,2年生が参加する伊香保での1泊2日の「ゆうすげ」と呼ばれる宿泊行事などです。これらは、入学式のある週に全て行われますので、新入生は最初は圧倒されながらも、次第に同級生や先輩との親睦を深めてゆきます。

 私が所属する学友会執行委員会(以下、学友会)は、群馬大学医学科内の自治組織です。
 学友会では、新歓の時期は入学式での新入生の誘導や、また新入生に学友会という組織の説明を行い、学友会に加盟してもらい、学友会内の専門委員会の委員となる学生の選出も行います。新歓時期を過ぎると、新たに執行委員となった新入生とともに、前期末、後期末の年2回、教職員の先生方に講義や施設面での学生の声を届ける懇談会・懇親会を開催したり、全学生を集め、1年間の自治活動の報告やこれからの自治活動の方針の承認を行う学生大会を行ったりします。
 また、この夏群馬では「第59回全国医学生ゼミナール(医ゼミ)」が開催されます。医ゼミは長い歴史を持ち、これまで専攻や大学の壁を越えた医療系学生の学びの場となってきた企画です。この群馬の地に多くの医療系学生が集い、学びの場となり盛り上がることを願っております。

群馬大学医学部医学科学友会執行委員会委員長
(2016年4月20日 医学連新聞256号より)

「グローバルスタンダードの導入」

 

-最近の医学部カリキュラムの全国的な移行の流れはどのような背景のもとに起きているのでしょうか。

藤崎: ことの発端はECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)2010年に出した通告でした。「2023年以降は医学教育の国際的な認証評価を受けた医学部の出身者以外は(アメリカ・カナダでの)医業の資格を認めない」というもの(いわゆる「2023年問題」)。

グローバル化が進む中で、医学・医療も国際認証に通用するような教育が求められています。そのニーズに対し、米国外の医学部が教育の国際基準を満たそうとする際に、用いる基準が世界医学教育連盟WFME策定の「グローバルスタンダード」なのです。

 

日本ではどのような動きがあるのでしょうか。

藤崎2013年2月に日本医学教育認証評議会JACMEが設立されました。これからはJACMEが「グローバルスタンダード」に基づいて、2023年までに希望する全医学部の認証評価をやっていく予定です。そして、JACMEがやっている認証を、ECFMGに「国際的な質の保証がされている」と認めてもらおうというわけです。

 

WFMEが直接認証をしてくれないのですか。

藤崎WFMEに認証評価をしてもらうとなると、言葉の壁を乗り越える必要があります。英語で認証評価を行うのはとても大変なのです。シラバスや教育関係の文章類は全て英語翻訳し、対応も英語行わなければなりません。そのため、JACMEを立てて、その評価をふさわしいものとして認めてもらおうとしています。

 

認証評価の具体的な流れを教えてください。

藤崎 まず6か月かけて、自己点検をします。基準に沿って、どこがダメで、どこがいいかを大学自らやります。その自己評価を認証機関におくって、それを機関がチェック。その上で外部評価者(これからはJACME)がきて現地調査。その結果をもとに2か月後くらいに報告書をだして認証の結果を伝えなおかつ結果をHPで公開していくことになります。改善命令とかでた場合には各大学で改善策や期限を定めて、これもHPなどで公開しなければなりません。

 

基準となるグローバルスタンダードとはどのようなものなのですか。

藤崎:グローバルスタンダードは医学教育を9つの項目に分けて基準を定め、各項目の中で【基本的水準】と【質的向上の水準】が定められています。基本的水準はmustで表され、最低限のラインを定めます。質的向上はshouldで表され、目指すべきことを定めます。

 

この基準に日本の医学部が合わせようと思ったとき、どこが問題になると考えられますか。

藤崎 4.4学生の教育への参画】において、基本的水準では、「カリキュラムの設計、運営、評価や、学生に関連するその他の事項への学生の教育への関与と適切な参画を保証するための方針を策定して履行しなければならない」(B4.4.1)とあります。  

また、質的向上のための水準では「学生の活動と学生組織を奨励するべきである」(Q 4.4.1)とあります。

これらに対し日本語版では独自に、「[学生の教育への参画]とは、例えばカリキュラム委員会や教育委員会と学生代表が話し合う機会などを意味する。」という注釈が加えられており、縛りが緩くなっているように感じます。国際的には、カリキュラム作成の際に、ただ話し合うのではなく、学生を正式なメンバーにするのが基本です。

 

この認証評価の導入によってカリキュラムの変更以外にも何か影響はありますか。

藤崎:「ECFMGなんか受けないのだから国際認証なんか関係ない」という声もあります。しかし、海外の医学校では教育評価は重要な指標であるので、海外の医学校と連携していく際にも、先方はそういう目(国際基準の教育が保証されているかどうか)でこちらを見るでしょう。

また、JACMEは認証結果をHPで公開する予定ですので、その結果次第では、国民から「あそこは質が低いんじゃないか」と見られ、教育レベルで格差化が進む可能性もあります。つまり、各大学にとっても、医学生にとっても、「関係ない」で済む問題ではないのです。

 

信州大学ではこの流れを受けて、臨床実習期間が50週ほどから72週に拡大されたのですが、そのため座学の講義が90分から60分に短縮されました。それに対して学生からは困惑や不満の声も上がっています。

藤崎:そもそも講義形式を90分で行うことも、世界的には非効率とされ、減少傾向にあります。

大きな講義室の講義では学習は起きていません。今の学生にとって、学習は試験前の勉強で起きるのです。しかし日本の教育は、学生も含め講義信仰が強いので、学生は教えられることを待っています。

臨床で学んだ方が効率的です。講義でおおまかなことが身についていれば、あとは実習の中で、目の前のリアルな患者さんを見ながら学んだ方が身につきます。それが国際的な教育です。

 

最後に何かありますか。

藤崎:この2023年問題により生まれた流れの中で、全国的なカリキュラムの改変が行われています。しかし、大切なのは実習の期間や回数をそろえることではありません。数字だけ変えても、肝心な教育の中身がともなってこなければ、意味がありません。いずれにしろ、特に臨床教育を中心に、ちゃんと改善をして国際水準にしないといけないという通告が、まさに日本の医学教育界に黒船が来たということです。

 

 

医学連新聞191号掲載



 八月に行われる「全国医学生ゼミナール」の今年のテーマは、「健康とは~移り行く人間社会の中でその意味を考える~」に決定しました。その企画作りの一環として、識者へのインタビューを行っていきます。今回は、山梨大学医学部社会医学講座の山縣然太朗先生へのインタビューを掲載します。

先生のご専門

[学生]まず、先生のご専門は、どのようなことされているのか、ご説明願えないでしょうか?
[山縣先生(以降山縣)]公衆衛生の教室なので大きな柱として、一つは地域保健・地域医療のところで、疫学という手法を用いてその要因などを明らかにしてそれをいかに地域に還元するかということを研究しています。もう一つはゲノム疫学という、人の病気のかかりやすさ、すなわち、遺伝子と生活習慣や環境との交互作用を研究しています。
 前者の方は、母子保健を初代の教授の時代から、ある地域での悉皆調査(全数の調査)で生まれてくる子どもたちをずっと追いかけています。それは行政と住民の人たちと僕たちとで、三者でもう十七~十八年続いているっていう研究があります。たとえば思春期の肥満の原因として小さいときの生活習慣とか親子の関係があることを明らかにしたり、子どもの死亡事故がどういうふうに起きているのかを明らかにしています。介入研究と言って、誤飲をしないようにする"誤飲チェッカー"を使ってもらって、実際に事故が減るのかどうなのかを研究しています。
 ゲノム疫学の方は、例えば運動をして体重が減る人と減らない人によって体質に違いがあるとかを明らかにする際に、実験室で遺伝子を同定するだけでなく、疫学研究の研究デザインを用いて研究をします。また、ゲノム科学だとか生殖補充医療技術のような先端医療技術とか先端科学が社会とどう接点を持つかという、その社会との接点というものを考えていく研究をしています。
 あとは、山梨県の健康寿命は日本でトップクラスにあるんですけれど、それの要因を明らかにするために、県と一緒に研究会を作って取り組みました。その成果として「山梨健康長寿十か条」というのを作って、それを元にして今年は介護予防健診のようなものを、まあ来年から国としても始まるものを先取りして、もう少し具体的に介入していく方法みたいなものを、明らかにする調査研究をこれからやります。
 地域の大学の公衆衛生の果たす役割として、地元の人たちと一緒に健康問題について考え、それを僕たちは科学的に要因を明らかにしたもの(科学的根拠)を提供して、地域に還元する。そういうところから世界に発信できるような研究ができるだろうと信じています。疫学とかの研究は、その地域住民から始まって、その地域住民に終わる、ということを教室のキャッチフレーズにしてやっているんです。それが教室の概要ってところでしょうか。

健康とは?

[学生]先ほど健康寿命という話がありました。健康という言葉はいろいろな定義がされています。WHOは、到達すべき、満たすべき目標ということで掲げています。先生はどうお考えですか。
[山縣]僕たちはただ生きているだけではなくて、何か目的があったり、何かしたいことがあったり、そういうふうなことがある程度自由にできる状態でありたいと、そういう状態が健康なのかなって気がするんです。
 心の部分はすごく大きいと思います。QOLはよく言われるけど、本当に大切でしょうね。立場や状況など人によって違うとは思うんだけど、少なくとも限られた状況を自分で認識した上で、こんなことならできるんじゃないかとか、こんなことをやりたいって思うときに、それができる状態にある。たとえば車椅子に乗っている人が一〇〇メートル走りたいっていうのは、それはそもそも無理なことだよね。たとえば足が不自由だということを自分の今の状態をきちんと認識して、そのうえでどんなことをしたいのか考える。車椅子で一〇〇メートル行くのが楽しいと思うかもしれないし、体を動かすこととは別の楽しみを見つけるかもしれない。それをやるためには心が病んでいては難しいかもしれない。だから、健康を考えるときには段階があって、まず、自分自身が身体的な能力も心の能力もいろいろ含めて、きちんと自分のことを理解する。そのうえで、「こんな努力するとできるんじゃないか」「こんな楽しみがある」「こんなことできると自分にとってもいいけど、他の人のためにもなる。それで喜びを得ることができる」とか。自分がこの世の中でこんな役割を担えると思えたら、それを実行するために、最低限必要なもの、基盤となるもの、それが健康かな。

健康の要因-生きがい

[山縣]健康寿命を考えたときに、高齢者は心身ともにガクッと来る時期がやっぱりあってね、男の人ってけっこう定年のときにきたりする。社会の自分の役割がなくなったりするから。女の人は七十代半ば、それは家の中でいままで家事をしていたのが、お嫁さんもいい年になって、そろそろ定年になったり、子どもの手が離れたから家のこともできるようになって、「おばあちゃんもういいよ。私がするから」と言われて急に役割がなくなったりする。仕事の場合もあるだろうし、ボランティアの場合もあるだろうし、日常生活の中で誰かを支えているという営みもあるだろうし、いろいろあると思う。一言で言うと日本語の「生きがい」。
[学生]さっきあげたのは、そういう役割が大きく変わる時期だと。
[山縣]「生きがい」があるから健康でいられる、役割があるから健康でいられるし、役割をはたすためには健康でないといけないし、そういう相互関係みたいなものがあるんじゃないのかな。
 山梨の健康寿命で元気で長生き出来る要因は、一番に社会的ネットワーク、人と人とのつながりが大きい。山梨には「無尽」というものがあって、山梨の特徴的な人と人とのつながりなんだよね。無尽を楽しんでいるかどうかで健康寿命に差がある。無理矢理作られたコミュニティの中に自分がいるのはあんまり心地よくなく、健康にも必ずしもプラスにならない。自分がそのコミュニティの中にいることを楽しめたり、役割があるようなコミュニティが存在するとおそらく元気でいられる。無尽ってあまり知らないと思うけど、数人ぐらいで、たとえば高校の同級生だとかその地域での何かの会だとか、近所のお嫁さん同士とかで五人から十人ぐらいで月に一回程度、会を設ける。月五千円ぐらい出しながら、半分はその時の飲み食いに使って、半分はためて旅行とか別のことに使うとかね。本来の無尽だとそれを誰かに一時的にお金を貸してあげるとかするものなんだ。無尽もいろいろあって、気心の知れた人同士の無尽もあれば、たまたま入ったというような無尽もあったりする。
 近所付き合いってあるじゃない。昔みたいに無理矢理近所付き合いをやるのって、必ずしもプラスではないのかもしれない。だから、コミュニティというのはその地理的なものだけではなくて、その人が孤立さえしていなければいろんなコミュニティに入りながら、それが自分の一番居心地のいいコミュニティの中で何らかの役割を持っていくと健康にいい。そういう社会的サポートが重要だってことが一つ分かった。

健康の要因-食事とコミュニティ

[山縣]二番目は食事がとても大切。
[学生]食事がかなりの楽しみの大きな部分を占める人も多いでしょうね。
[山縣]そうそう、食事はコミュニティの形成の一つの重要な要素でもあるよね。
[学生]医学部では食事についてってほとんどやらないですね。
[山縣]やらないねぇ。たしかにね、栄養素の話もあんまりやらないかな。
 いま、栄養素の問題も基礎としてはとても大切で、どんな栄養素がどういうふうに必要っていうことは大切、プラス食生活そのものもとても大切。たとえば弧食をしないとか、欠食をしないとか。食べる時に独りで食べるよりみんなと食べるとか、時間をかけて食べるとかそういうことはとても大切だと言われている。国民栄養調査っていうのがあって、一日の内で複数の人と食事を食べていますかという質問に対してYESと答える人ってどれくらいいると思う?
[学生]半分くらいですか?
[山縣]実は六十七~八%あって、三人に二人はそうやって食べてるんだね。で、逆に三人に一人は一日誰とも食べずに一人で食事してるんだよね。食事ってただ単に栄養を補給するだけでなくて、コミュニケーションを持つとか、そういうことは社会的サポートにもなるわけだよね。一人暮らしが多くなったり、高齢者とかっていうと三食一人っていうのがあるんだ。そういうところに対する支援が大切。
[学生]ご飯を一緒に食べるだけでもお互いに貢献できるということですね。
[山縣]そうそう、お弁当届けるだけじゃだめなんだ。むしろ、お弁当届けるよりも「ここにきたら食事できるからおいでよ」って言ってあげて、どこかに集まることの方が大切かもしれない。介護保険があって、いろんなサービスの支給があって、いろいろ言われている中に訓練すれば歩けるのに車椅子提供しちゃうから逆に歩けなくなって、なんていう過剰な介護のことが言われたりする。お弁当を届けることも、上手にやっていかないと、逆に高齢者を閉じこもりにしてしまったりするよ。それよりも「出てきて一緒にここで」っていうサポートが大切だよね。みんなで集まると仲間が出来て、仲間が出来ればそれなりの役割が出来たり、ただそこで楽しいだけというよりもその中で自分の役割を見いだせたりするかもしれない。健康を考えた時に、人と人とのつながりとか、コミュニティをベースにいろんなことをやるのは大切なことなんだ。
 ただ、コミュニティは昔のような近所で仲良くしましょうとか、固定化したようなコミュニティではなくて、いろいろフレキシブルにアクティブでもいい。何らかのコミュニティに自分が存在をしていて、その中で何らかの役割を持ててさえすればいい気がする。そういうことが健康寿命の調査でわかった。

患者さんの選択

[学生]いま健康ということに関して、一つの流れとして外見で健康になろうというアンチエージングみたいなものも出てきていますが、ひとつの健康管理として、先生はどう思っていますか。
[山縣]うん、ひとつの方向なんでしょうね。そこで得られるものが本人にとって何なのかっていうことがきちんとわかれば良いんだと思う。生命倫理の四つの原則に照らし合わせて、何が良いとか悪いとかその中に価値観っていうのは入っていないんだ。もしもそれが本人の価値観ならばそれは周りから止めたりだとか、だめだよって言うべきものではない。大切なことは、内面的なこととか、細胞のレベルで元気でいるということが本当に可能なのかとか、そのことによる健康障害っていうのはなんなのかとか、本当に本人にとって健康なのかってこと。それで心が豊かになれるのであればそれでいいのかもしれない。そのことばっかりに気にしていることそのものが心の病気の状態かもしれない。
 いろんなものに対するリテラシーがしっかりしていて自分で判断できるような社会にしていきたいし、そういう教育が必要になって来ると思う。
 健康の問題を考えていく時にある人の価値観を押しつけては絶対いけなくて、と僕は思っているんですけどね。みなさんはどうでしょうか?
[学生]患者さんに考えを出してもらったとしても、精神的に追いつめられて出した考えかもしれないですよね。
[山縣]そういうことも考えなくちゃいけない。だから、考える時にそれが「自由意思で」きちんと判断できるように、もしも僕たちができることがあるとすれば、そういう状況を作ってあげること。それがカウンセリングだと思う。臨床の現場で、治療を受ける受けないのカウンセリングがこれからとても大切になってくる。ぼくは遺伝カウンセリングをやっている時に一番思うことはそれね。
 出生前診断したいっていう人に、僕は必要ないって思っているんだけど、本人がどうしてもしたいっていうのであれば、自分で本当にそれが最終結論であれば押しつけてはいけない。むしろその過程が大切だよね。どうしてそういうことに思い至ったのかっていう過程があれば、後悔はしない選択ができる。医療の中に、時間と期間、スペースというかね、これからもっと必要になってくると思う。先端のいろんな医療が出てきた時に、今までは、治療法って常に新しいものがベストだったと思っていた。でももうそうじゃなくなってくると思う。本当に選択になってきた。この方が新しくできたからいいというわけではなく、ここの部分を改善したもので、前のこっちの方がいいかもしれない。こういう治療法があるかもしれないけどそのことを本当に選択しなければいけないのかどうなのか、というようになる。
 患者も医療に対するリテラシーがしっかりとするためには、その場だけでいろんな知識を吸収することはできないので、判断できるような教育が必要になってくるでしょう。
 うちの授業ではディベートをやる。答えのないものがいっぱいあるわけじゃない。でも判断しなきゃいけなかったり選択しなきゃいけない時に、自分はどういうその知識とか技術とか、それに加えて自分の健康観とかそういう価値観でものを決めていくのかっていうことが、すごく問われている。自分が構築していって解決する能力みたいなものが必要だと思います。どうですか、そういう訓練してますか?まあ皆さんしてるんでしょうね、医ゼミとか行ってね(笑)。

先生の学生時代

[学生]話は変わるんですが、先生の学生時代の話も是非。
[山縣]いやあ昔のことだから(笑)
 僕は山梨医大の一期生なので、先輩とかいなくて、自分たちでいろんなものつくっていかなきゃいけなかった。自分だちでつくるという、何かアクションを起こさないといけなくて。きっかけが自治会づくりだったり、大学祭やったり。医ゼミとかに行かないと他の情報が入って来ないわけだし。
 例えば、大学ができるっておもしろくて、最初は大学病院がなかったんだよ。山梨医大は、僕たちが臨床実習を始めるために、四年生の時に大学病院ができたんだ。当時県の人口が八十万人くらいだったが、六〇〇床の大学病院がせっかくできるだから、県内で大学病院がどんな役割を果たしてるのかということをみんなで議論しようと、県の医師会長呼んだり病院協会の人呼んだりして、付属病院の役割を考えるシンポジウムをおこなった。それは同じように全国的に考えると新設医大っていうのは、医師養成機関としてどんな役割を果たすのかとか地域の中でどんな役割を果たすのかっていうことが一九八〇年代の医ゼミではよくやられていた。
 医ゼミでは、新設医大分科会っていうのがあってさ、香川医大とかとよく一緒にやってたね。
 当時は各県に一医学部っていう政策で、旭川医大から始まって、単科の医科大学としては福井、山梨、香川が一九八〇年の開校で終わって、一九八一年に沖縄の琉球大学医学部でそれで全県にできた。その時は、人口一〇万に対して医師一五〇名というのが一つの目標だったわけだよ。当時山梨県は一三〇人くらいだったかな。要するに足りない。すでにその当時は京都とか徳島とか、開業医の先生の多いようなところは、もう人口一〇万に対して二〇〇人以上いたりした。そういう中で、僕たちっていうのはどんな役割を担っていくんだろう、と悩んでた。そのころから卒後研修のあり方みたいな話はもう出てきてて、自分が目指す科だけ最初から勉強すればいいのか、疑問もやっぱりあった。スーパーローテートがいいんじゃないか、少なくともローテートでやらなきゃいけないんじゃないのかという話もあった。最終的に卒業して十何年たって新研修制度になったということなのかもしれない。

社会疫学

[学生]医ゼミの今年の企画では、医療者になったとき考えなければいけない健康というものはどんなものなのかを考えていこうと思っています。
[山縣]ソーシャルエピデミオロジー(社会疫学)は古いようで新しいっていうのかな、重要なところだと思う。科学的にその人の背景をどう考えていくかとか、経済格差がどういう風に健康に影響を与えているのかとか、そういうことって市町村にいろんなことで保障金をはじめとして、市町村に降りていくってことはアクセスがとてもよくなるんだけど、その標準化なり制度管理をきちんとしていかないと、格差が生まれていくんだよね。これだけのことをやりなさいっていう施策はなくなってきた。こういうメニューの中で市町村で選んでやりなさい、やりたくないならしなくてもいいですよ、となってきた。一生懸命やる所はやるんだけど。今まである程度、画一化だけど、どこに行っても同じような保険サービスがあったものがそうではなくなってきている。それが健康に与える影響はあると思う。そういう視点でものを考えるのが重要。
 先端医療技術も、受けられる受けられない、などという選択ができるか。それから遺伝情報のように何でもなんでも知れば良い訳ではなくて、知りたくない権利というものを前提にした医療というものも当然あるわけだよね。がんの告知だってそうだよね。当たり前だとか言うけれど、知りたくないという人に教える必要はないと思うんだ。それを知らないと治療ができないかというと、実はわからないよね。
[学生]そこで事前に、どうやって意思を確認しておくかという...。
[山縣]だからこそ医療そのものは健康観を含めた最初のカウンセリングみたいなものが重要だと思うんだ。
 これから皆さんやろうとしている「健康」っていうものをひとつの視点からだけみていくと、なかなか一筋縄ではいかないので、難しいとは思うけど、いろんなケースで考えていくと、最低限、何が必要なのかっていうようなことは見えてくるような気がする。そのために僕たちができることって何だろうって。

学生へのメッセージ

[学生]最後に学生にメッセージを。
[山縣]僕は公衆衛生やっているので、パブリックヘルスマインド(public health mind)っていうのをちゃんと持った医療従事者になるっていうことだと思っている。患者さんだけではないんだよね。家族があり、生活、社会の中で健康を考えていかなければいけないってことです。僕の社会医学の講義の中では最終目標としてるんだけど。それはそれぞれの場で働いている人にあってもいいと思うんだよね。大学で例えば脳外科のような非常に専門的な医療技術をやる人間のパブリックヘルスマインドってなんだろうとか、地域で一線の医師としてファミリードクターとしてやる人のパブリックヘルスマインドってなんだろうとか、実際に具体的なアクションっていうのはなんなんだろうとか、それぞれ考えていってほしいなあって思いますね。そういう視点を持って、患者さんへの支援をしていく、それは人それぞれ立場とか、状況で、アクションそのものは違うんでしょうけど。それが今自分に何ができるのかっていうパブリックヘルスマインドをもって考えていけることのできるような医療従事者になるってことでしょうかね。
[学生]患者さんになれない人もいますしね。病院に来る人もたくさんいますけど、来れない人もいるし、本当なら来る前に、来る人自体が減る方がいいですけどね。
[山縣]そうそう。いや本当そうなんだよね。がんばって、いろんなものにチャレンジして下さい。


[学生]どうもありがとうございました。

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